ナイチンゲールを思い出せ!

1800年代前半。
ナイチンゲールが看護師としての仕事を定義づけし、職業として確立するまでは、病人や怪我を負った人たちの看護は身内が行っていました。
看護師として仕事をしている人たちも、特に看護の知識や技術のないままに仕事を行っている状態でした。
1854年、クリミア戦争でケガや病気を背負ってしまった多くの兵士や犠牲者のお世話をしてきたナイチンゲールは、看護はこのままではいけないと警鐘を鳴らします。
1860年には「看護覚書」という書物を書き、その中に、職業としての看護師としての定義やあり方などを書き記していきました。
それと同時に、看護をするものは人々の命や健康を預かるのだから、きちんと看護の知識を覚えていなくてはならないと、イギリスに看護学校を建設。
ナイチンゲールの教育方法は各国の看護のあり方に大きな影響を与え、いろんな国で看護に携わる者たちへの教育が行われるように成りました。
ナイチンゲールの考え方の根底には「働くものたちの自己犠牲だけに頼る労働は決して長つづきしない」、「働くものの奉仕の心も大切だが、それを支える経済的な支援がなければその心も無力になってしまう」といった考え方にもとづいており、赤十字などの奉仕活動には参加しなかったといわれています。
ナイチンゲールが看護の定義を掲げてから200年以上経過した今日でも、このようなナイチンゲールの精神は看護教育に息づいているのです。